英会話と英語リーディングは車の両輪。☆ストーリーを音読することで、両方マスターできます。英会話学校で12年教え、現在「英語でリーディング専門 クローバー」講師 Andy のブログ☆






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Andy Tachibana

Author:Andy Tachibana
こんにちは!大久保で「英語リーディング専門 クローバー」というマンツーマン英語教室を開いているアンディ立花です。これから英会話をマスターしたい!英語もスラスラ読めるようになりたい!というあなたのために、必要なノウハウをすべてこのブログにまとめました。☆
Twitterは clover_reading です。



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マイストーリー




 このお話は

『英語の海を自由に泳ぐ本』と題して、

当時私が勤務していた

語学学校の生徒さん向けに

書いたものです。




「TOEIC900&英検1級合格体験記」

としてもお読みいただけます。


何をどんなふうに勉強したか

かなり具体的に書きました。




みなさんの英語学習の一助になれば

幸いです。☆




 @ki(アキ)

                 
           



             
                  


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2
★まえがき  海への道


鎌倉の鶴岡八幡宮前に若宮大路という名の一本道があり、海に続いています。
ある日、その道の真ん中にある交差点で外国人に道案内をたのまれました。

その当時の私は英語ができませんでした。
かろうじてbeachという単語が聞こえたので、この人は海に行きたいのだとわかりました。
今なら“Go straight down the street.”というところですが、その時の私は思考停止状態。
無意識に人差し指で方向を示して、うなずくことしかできませんでした。
その日、初めて英会話の本を買いました。
英語に対する自信はありませんでしたが、その本をきっかけに、
あたらしい世界が自分の前に広がる気がして胸が高鳴りました。

 早いもので、語学学校で英語を教え始めてからもう十二年になります。
よく生徒に「留学をしていないのにどうして英語が話せるのですか。」と聞かれます。
ふだんは「英語はやっぱり朗読が大事。」などと一言で済ませているのですが、
今回その答えを一冊の本にまとめてみました。

 本書を読むことでみなさんの中に英語に対する勇気や自信がわいてきたら、
こんなにうれしいことはありません。                 @ki


3
☆『英語の海を自由に泳ぐ本』☆


主な登場人物 


J・・ジャマイカ出身のアメリカ人留学生

M・・テキサス出身の女性宣教師

C・・シカゴ大学の学生

K・・@kiのライバル、英語の達人

T・・@kiの親友、ハワイアン講師

S・・カナダへ留学する生徒

A・・オーストラリアで出会ったインドネシアの学生

E・・イギリス人の英語講師


4
はじめから外国語ができる人なんて

ひとりもいません。
 


母語(母国語)はもの心ついたころには自然に話せるようになります。
しかし、外国語はそういうわけにはいきません。

いま英語が話せる人は

みんなある時期集中して、

英語と向き合い、

自分の中に英語を取り込み、

そしてさらに取り出す努力をした
人たちにちがいないのです。

私は語学学校で英語を教えています。
語学学校の先生といえば、ネイティブ講師をイメージするかもしれませんが、
日本人講師もいます。そしてその多くは留学経験者です。

しかし、私の場合は英語を日本で習得しました。
留学する機会はなかったけれど、留学した人たちと同じくらい英語ができるようになりたかった。
こんな、かつての私と同じような願いをもっている人たちがたくさんいるのではないでしょうか。

「日本にいながらにして

英語をマスターしたい。」


本書はそう願う人たちのためのものです。

道案内ができず情けない思いをし、英語をマスターしようと決意した日から、
英検一級合格までの十年間をストーリー形式でまとめました。
へまや失敗ばかりのつたない話ですが、

随所に英語の習得法をちりばめてあります。

同じ英語の道を歩む人たち、
あるいはこれから歩もうとする人たちの参考になればと思います。


5
●鎌倉で道案内失敗

 梅雨の晴れ間、その日は朝から気分爽快だった。
ふだんなら江ノ電を使うのだが、ひさしぶりに運動をかねて自転車で鎌倉駅へ向かった。

 駅周辺は観光客でにぎわっていた。
「そっか、アジサイの季節だからだ。」

 若宮王子の交差点で信号待ちをしていると、背後から“Excuse me.”という声が聞こえた。
振り返ると、大きなリュックを背負った白人の男がいた。

何やら意味不明の言葉を発している。

私は呆然と相手の口の動くのを見つめていた。すると、beachという単語が耳に飛び込んできた。

 「この人は海に行きたいのだ。」
私はいま来た道をまっすぐ指差し、うなずいた。
“Thank you.”という声が聞こえ、「『どういたしまして』って何て言うんだっけ。」と
考えているうちにもう相手の姿はそこにはなかった。

 ひとことも英語を話さなかった。

いや、話せなかった。

それが何よりショックだった。


 実は、英語ができなくて情けない思いをしたのはこれが初めてではなかった。
十年前、私が七歳のとき父の仕事の関係でロンドンの小学校に通っていた。
こう言うと「あー、帰国子女なんですね。だから英語が上手なんだ。
うらやましい。」と一方的に、あたかも違う人種であるかのように
「帰国子女」というレッテルが貼られる。
「帰国子女」=「自然に英語を覚えた」=「英語を楽に習得した」だから「うらやましい」というわけだ。

 しかし、現実はこうだ。私は英語を覚えて帰ってきていない。
イギリスの小学校ではサッカー、算数、お絵描きが得意だった。
いずれもあまり言葉がいらないものばかりだ。
反対に言葉が必要な英語や社会といった科目は大の苦手で、
授業中は当てられないようにずっと下を向いていた。

 特に図書室での朗読の時間は拷問だった。
先生は生徒を喜ばせようと、楽しい物語を選んで聞かせてくれる。
周りでどっと笑い声がおこる。

自分だけが分からない。疎外感。

屈辱に似た感情をおぼえ、

私は膝をかかえながらまた下を向いた。


 でも一度だけ上を向いたことがある。
それは「大人になったら、分かるようになるかもしれない。」と思ったときだ。
表紙をじっと見ていたから、今でも色鮮やかに思い出せる。

その本は“Charley and the Chocolate Factory”

(チャーリーとチョコレート工場)
と書いてあった。

 あれから、十年。私はやはり英語ができない人間だった。

もし、今日英語を学ぶ決心をしなければ、

十年後も相変わらず

英語ができない人間のままだろう。


そう思うと、絶対に今日行動しなければいけないと思った。





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